特集

第二次性徴の変化をきっかけに性教育の本を読み、高校生で探究心がより深まった!テレビ東京プロデューサー 工藤里紗さん~前編~【FJCトークルーム vol.1】

『フェムテックジャパンカレッジ』のオリジナルコンテンツとして、対談企画『トークルーム』が始まります。『フェムテックジャパンカレッジ』が聞き手となり、フェムテック領域で活躍する方々との対話をお届けいたします。

第1回目は、『生理CAMP』や『テレ東フェムテック委員会』などを担当する、テレビ東京プロデューサー 工藤里紗さんが登場! どのように自身の身体や性に向き合ってきたか、フェムテック領域に着目した理由、どんな想いを持って番組制作をしているかなどをお話しいただきました。

第二次性徴の変化が自分の性を意識するきっかけに

フェムテックジャパンカレッジ(以下、FJC):工藤さんのフェムテック道の始まりと言いますか、女性の身体や健康について関心を持ち始めたのはいつ頃ですか?

テレビ東京プロデューサー工藤里紗さん(以下、工藤さん):第二次性徴と言われる、小学2年生の頃からです。

例えば、同級生とドッチボールをしていて、ボールが胸に当たると痛かったり、ワキに産毛のような毛が生えてきて気になり出したり……という変化が出始めたのが小学2年生でした。初潮を迎えたのは小学3年生で、周りよりも早かったです。大人になってからいろいろ調べてみると、思春期早発症(性成熟が早い時期にくること)だったのかもしれないと思うのですが、当時は分からなかったですし、その言葉も知りませんでした。

FJC:まだ知識も情報も持っていない時期ですよね。変化が早く訪れたことで、周りからの反応が気になることはありましたか?

工藤:そうですね。生理で水泳を見学することもありましたし、スポーツブラにしても服から少しでも線が透けているのも嫌でした。小学生だとデリカシーがないことを言う子もいたり……。さすがに違うクラスから「里紗、乳バンド(スポブラのこと)してるんでしょう。見せてー!」と体育の着替え中に人がやってきた時は逃げ出したかったです(笑)。

今のようにインターネットがなかったこともあり、性教育にアクセスすることができなくて、でも「知りたい」という気持ちはありました。だから、母から渡されたいろんな国の性教育の本を本当に真剣に読みました。

インタビュー中の工藤理紗さん

FJC:周りに相談できるわけでもなかったですよね。

工藤さん:そうですね。人より早く経験していることだったので、だんだん仲間ができてきたという感じでした。

中学生の頃からは恋愛をする先輩や同級生が出てきて、そうすると避妊や妊娠について調べるようになりました。その後、高校では、自分で選んだテーマを1年間に渡りリサーチし、最終的にレポートにまとめる『比較文化』という授業がありました。自由にテーマを決めることができたので、性と社会が抱える問題について関心が高まっていたため、テーマを『中絶の文化』にしました。

自分で決めたテーマにおいて、その背景にはどのようなことが起こっているのか、どんな歴史があるのかなどを調べました。具体的には、古代ローマから日本の平安時代や江戸時代の手法や生活と背景、宗教や政治との絡み。特に今でもアメリカの選挙や判決の争点となる『ロー対ウェイド判決』(1974年)について、日本の法律や医療の実情、映画やカルチャーでの描かれ方などです。

そうすると、国、医療、宗教、法律、人権、それぞれの事情などのひとつの側面ではなく、それを『文化』と呼ぶかは分かりませんが、広い意味で『生きる』に通じる何かが見えてきました。

FJC;とても興味深いテーマですね。

工藤さん:はい。先生からテーマに関して何かを言われることはなかったのですが、レポートの目線については指摘されることがありました。

FJC:「その考えはダメ!」ではなく、気づきを与えてくれる経験は、その後の考え方にもつながりますよね。

工藤さん:はい。保健体育の授業の中でも、自由にテーマを選んで調べることができる機会があったのですが、その時は生徒から先生も含めて性行動についての匿名調査を行いました。

性教育の本でも男女による性行動への差を感じ、「果たして本当にそうなのだろうか……」と思ったので、学校中にボックスを置いて、生徒だけではなく、先生にもアンケート用紙を配ってボックスに入れてもらうという、無記名で参加できる調査を行い、レポートにまとめました。女性の先生はわりとストレートに書いてくれていたので、けっこう衝撃を受けたのを覚えています。

高校生の時の探究心は現在にもつながっている

FJC:「それはダメです」と言われる可能性もあったかもしれないのに、気になったテーマを追求させてくれる学校だったんですね。

工藤さん:そうなんです! 今思うと、そんな目安箱をよく置かせてくれたなと(笑)。よく考えたらクレームがきてもおかしくないですよね。でも、興味を真面目に追求することは、先生も生徒も保護者もみんな、応援するカルチャーだったんです。

今思えば、テーマで蓋をされなかったことは、私にとってはすごくプラスになっています。アンケートを取るにしても、「このアンケートだったらプライバシーを気にする人もいるんじゃないの?」「この結果をどうまとめるの?」「それによって個人が特定されてしまうこともあるよね」というようなことは言われましたが、テーマに関するYES、NOを言われないということは、教育としてはよかったのかなと。

一概にどういう描写があるからNOではなくて、そこから何を学ぶのかということをさせてもらえたのは、良かったと思いますし、今につながっています。

また、私は大阪府箕面市の学校に通っていたのですが、ラジオや市のイベントで『エイズってな~に?』をテーマに発信するという話がありました。体育の先生から「工藤さん、一緒にやらない?」と言われて担当することになったのですが、今思うと、そういうレポートを書いていたから声を掛けてくれたのかもしれないですね。

先生と一緒に担当することになったので、HIVやエイズの発症についていろいろ調べて、HIVの検査について取材し、啓蒙動画も撮影、編集してイベントで上映しました。そして、HIVの研究をされているアメリカの教授のインタビューを撮り、劇を作って台本を書いて舞台監督も担当したり……。エイズに対して正しい知識を持ち、HIV感染者やエイズ患者に偏見を持たないための知識を広める活動をしました。

テレビ東京に入社後は、好奇心と欲求を満たす番組作りを意識

「ムーンカップ」 イギリス製、「U by Kotex」アメリカ製、「Moxie」オーストラリア製、「Ultra Sorb」チェコ製

(キャプション)『極嬢ヂカラ』で紹介された世界の生理用品

FJC:すでに高校生の時に、現在の仕事と同じようなことを経験されていたのですね。

工藤さん:はい。そういう体験からフィルムワークをすることがあって、テレビ東京に入社してからも、自分で提案した企画で初めて採用されたのが、深夜番組『極嬢ヂカラ』(2009~2012年まで放送)です。

仕事から帰って家でダラッとしながら観られる、例えば、「アンダーヘアはどうしている?」など、友達とはちょっと話しにくいこと。当時は男性ターゲットの深夜番組が多かった時代なので、女性向けであること、密かにある知りたい好奇心と欲求を満たすという番組テーマというのも珍しかったです。

その時にも生理やLGBTQ+などのテーマを扱いました。制作スタッフは女性が多かったこともあり、企画会議で生理について話してみると、あまりにもひとりひとりに違いがありすぎることが分かったので、生理の特集をやろうと。画面の中にど~んと“生理”と映し出される特集を放送したところすごく反響をいただきました。

その時に世界各国の同じような悩みを取材したのですが、海外ロケに行くたびに生理グッズを買ってきてもらいました。同じ生理用品でも、可愛い缶に入っているタイプもあれば、パッケージが蛍光のピンクやイエローのものもあったりして、日本との違いを感じることができました。

また、『極嬢ヂカラ』で生理用品あるあるの話を放送している時期に東日本大震災が起きたのですが、わりと早いタイミングで番組を再開したんです。その時に避難している方から、「『極嬢ヂカラ』の生理の話を観ています。実は避難所での生理事情も大変で……」とお手紙をいただいて……。

その手紙を読んで、生理は小学生の時は自分だけのことだったのに、一緒に働いている人、視聴してくれている人、被災して大変な思いをしている人も関心がある話題なんだと思いました。一方で、「なんで生理の話題を放送するんだ」と言われることは、当時だけではなく、今もまだまだあります。

FJC:そうなんですね……。気になる続きは後編でお届けします。

(プロフィール)
工藤里紗さん
株式会社 テレビ東京 制作局 クリエイティブ制作チーム プロデューサー。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2003年、テレビ東京に入社後、『生理CAMP』『極嬢ヂカラ』『シナぷしゅ』『種から植えるTV』など、幅広いジャンルのヒット番組を手がける。新番組『テレ東フェムテック委員会』も話題!

『テレ東フェムテック委員会』
女性の性と健康に寄り添った情報や生理や避妊、妊活、産後ケア、更年期などのトークをお届け。『テレ東 フェムテック委員会 YouTube』で検索!『生理CAMP』もテレビ東京公式YouTubeで公開中です。

執筆/木川誠子

No.00034

フェムテックジャパンカレッジ編集部

フェムテックジャパンカレッジ編集部メンバーとなります。