『フェムテックジャパンカレッジ』が聞き手となり、フェムテック領域で活躍する方々との対話をお届けする『FJCトークルーム』
第6回目のゲストは、教師として性教育を担当し、現在は、科学・人権・自立・共生の4つのキーワードのもと性教育を行う、“人間と性”教育研究協議会(性教協)代表幹事の水野哲夫さん。今こそ必要な大人の性教育をテーマにお話を伺いました。
性にまつわることは生徒の「問題行動」だと思っていた
フェムテックジャパンカレッジ(以下、FJC):水野さんが代表幹事を務める『性教協(せいきょうきょう)』は、正確な情報を伝えて性のあり方や生き方のもと性教育を行っているサークルですが、現代の大人たちが性教育を学ぶ機会は少なかったと思います。
大人が性教育の知識を身につけていく必要性や重要性はどのように考えていますか?
水野哲夫さん(以下、水野さん):必要性そのものは今も昔もまったく変わっていないと思います。例えば、1+1=2であることを知ってないと困りますよね。性やセクシュアリティ(性のあり方全般)は、同じレベルで知らなければ困ることです。ところがほとんどの人がしっかりと学んでいないため、知らないがゆえにそもそも必要だという意識を持っていません。
知っていくと、「こんなことを知らなくてヤバかった!」となるのですが、そういう機会はほとんどないこともあって、この問題を誰かと話したことはない、考えたこともないまま人生を終える人もいるくらいです。そして、日本ではそのことが問題として認識されないままでいるという背景があります。
FJC:水野さんは長年性教育に携わっていらっしゃいますが、問題意識を持っていたからですか?
水野さん:私が高校教員として私立の女子校に赴任した当時は、性に関して無知でした。さらには、性の問題が人権と結びついていると考えたこともなく、生徒が起こす問題行動の一種として捉え、生活指導をしていました。ですが、そういう考えに基づいて指導をしていたので、生徒を苦しめた、よくなかったという思いが現在の活動につながっています。
当時は、生活指導の方針として、「コンドームを持ってたら、不純異性交遊をしてると考えよ」という捉え方でした。いろんな意識があってコンドームを持っているわけで、性感染症、予期しない妊娠に関する知識があるということだけは確かですよね。それ以上は予断でしかないはず。
ところが、当時の私も、学校の指導部も、「女子高校生がコンドームを持ってるのはとんでもない!生活が乱れている」と捉えていたため、「三者面談をしてこういう付き合いをやめるように担任として指導しなければならない」と思い込んでいたのです。ただ、その指導がプライバシー侵害にあたることはわかっていました。ですが、「生活の乱れを正すためには致し方ない」という意識が上回り、数名の生徒に指導をしました。
後から苦しめていたと知った
FJC:生徒からの反発はありませんでしたか?
水野さん:後になって、その指導が生徒を苦しめていたことを知りました。
当時のその学校では、“いい子、悪い子、普通の子”に分けた指導が当たり前でした。その区分けでいうと、“いい子”の筆頭のような卒業生を呼んで、在校生に話をしてもらう行事を行いました。その慰労会の時に、卒業生から「あの指導は私たち生徒を苦しめていた間違った指導だと思います」とはっきり言われたのです。よかれと思っていたことに対してそう言われたことは、非常にこたえましたし、ショックでした。
さらに、同じ学校に同期採用が複数名いたのですが、その中でも私が勝手に自分よりは「下だろう」と思っていた同期がいました。その同期に、卒業生からそう言われたことを話したら、「あ、そう。俺はその指導しなかったよ」と、いつもの彼の調子でひょうひょうと言われたんです。びっくりして「なんで指導しなかったの?」と聞いたら、「え、だって間違っていると思ったから」と。
今思うととんでもないことですが、私は自分のことを「意識ある系」だと思っていました。だけど、その同期が、上司から言われたことでもそれは間違っていると自分で判断してやらない選択をしていたことにもショックを受けました。この出来事がきっかけとなり、自分が性について無知であること、性を「問題行動」として捉えていたことに気づかされたのです。
FJC:当時は、性について学ぶ機会はまったくなかったですか?
水野さん:そうですね。当時はまだネットがありませんので、いわゆるエロ本からのジャンクな情報と、友達からの情報がメイン。あとは、かつて保健体育の時間で得たちょっとした知識くらいです。
教師になってからも、性の問題は生活指導の一環としてしか考えられていなかったので、性と人権はまったく結びついていませんでした。このままでは生徒を苦しめる間違った指導を続けてしまうと思い、勉強を始めました。
辞書でさえ、知識が偏っている
FJC:どのように勉強していったのですか?
水野さん:当時の私は30代前半だったと思いますが、現在、代表幹事を務めている『“人間と性”教育研究協議会(性教協)』と出会ったのが大きいです。雑誌などの出版物を通して存在を知ったのですが、性教協が主催するセミナーや学習会に参加しました。
性教協は1982年に設立されていて、教員、養護教員、幼児教育の関係者、助産師、医師、保健士、研究者など、いろんな人が在籍しています。性教育を看板にしている団体はいくつかありましたが、そのなかでも性教協は会費と事業収入で運営されていて、自由に活動ができているのが魅力だと感じました。
2023年9月18日に行われた、緊急シンポジウム『多様性と包括的性教育を考える―あらたなトランスジェンダー・包括的性教育バッシングにストップを―』のひとコマ。
FJC:性の知識を得ていったことで、価値観が変わった部分もあると思うのですが、特に印象的な変化はどんなことですか?
水野さん:変化したことはたくさんありますが、大人の性教育という視点では、「常識を疑え!」がキーワードです。「自分が常識だと信じてることは本当にそうなのか?」という観点は、大人においては特に必要。常識病は、子どもよりも大人のほうが深刻ですから。
例を挙げますと、【性暴力】を『新明解 国語辞典』(三省堂)で引くと、性別は明記されず、“同意を得ないでされる性行為”とあります。そして、文部科学省(文科省)が実施する子ども向けの『生命(いのち)の安全教育』で使用されるテキスト内には、“あなたが望まない行為は性暴力です”と書かれています。一方、常識の象徴というか、信用している人が多い『広辞苑』(岩波書店)で引いてみると、最新である第7版でも、“主に女性や子どもに対する強姦や性的ないたずら、セクシャル・ハラスメントなどの暴力的行為”と書いてあります。つまり、男性の暴力被害者は存在していないことになっていますし、盗撮などの非接触型の性暴力についてもまったく触れられていません。“性的ないたずら”というのはいつの時代の捉え方なのかとあきれます。社会的常識とされる辞書でさえ、こういう状況です。
FJC:無意識のうちに刷り込まれていることもあるので、そういう意味でも常識を疑えということですね。
水野さん:世の中では「常識である」と思われていることの多くは、自分が意識しないまま、いわば「刷り込まれた」ものだと思います。「なぜ常識だと思っているのか」「どこで教わったのか」と問われた時に説明できる人は少ないのではないでしょうか。それくらい学校や社会で言われ続けているから、気がついたらそう思うようになっていたという状態。
「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」という“べき論”もそうですし、性暴力の問題にしても、「性暴力は男性の性欲が原因なんだ」という性欲原因論がいわば「常識」のようにとなっています。
No.00163
2025年4月4日リリース